脳出血で半身まひになった話~序章~
こんにちは、HRの妻です。
夫がどうしてもブログで現状をお伝えしたいということで、
夫に話してもらった音声を記事にしました。
まだ呂律がまわらない部分もあって、
聞き取れなかったところは、私の想像で補填していますが、
大部分は、音声をそのまま文章にしています。
-------------------------------------------------------------------
こんにちは、世界はサカサマのHRです。
茨城県水戸市でガジェットのレビューなどをしていました。
『していました。』というのは、今から20日ほど前に、実は気分が悪くなり、会社で転び脳出血を起こしてしまいました。
今日、これからのブログでは、実際に当日起こったこと、
そして、これからどうして生きていくかを話していこうと思います。
その日は、8月25日、ちょうど水戸の試合が負けて、ちょっと(へこみながら?)私は車で自宅へ帰ってきました。
会社で軽く映像の編集をして、さぁ、家へ帰るぞ!と思ったころ、
どうにも気分が悪い。
ゆっくりまっすぐ歩いていると、どうにもフラフラする。
まぁ、この程度大したことないと思っていたら、
ちょうど玄関に出たころ、強烈な違和感がありました。
まず、頭を強烈な何かにひねられたような、グワングワンとした感じ。
天井と床、どっちが上だかどっちが下だか分からない。
常に斜めになって、滑らせているのか・・・
今までのんきにしていた私もさすがに、焦りだしました。
そして玄関を開けて外に出てみると、
ものすごい音を立てて尻もちをつきました。
今ちょっと喋りも活舌が悪いので、申し訳ないです。
真っ暗な星空だけが頭の上にある、一歩も動けない、一歩も歩けない、違和感、というか絶望感。
態勢を整えようとしてポーズをちゃんとして、思いっきり今度は頭を打ちました。
えらいことになってしまったぞ。
自分でもさすがにそう思いました。
車のドアに必死に手をかけ、開けようとするのですが、
どうにもドアを開くという感覚がありません。
手の力だけ、必死に上に向けようとするのですが、手が鉛のように(重く)、手が岩のように固まって動かない。
車の中に入りながら、必死にスマートフォンを探そうとします。
しかし、こういう時に限って、このスマートフォンというやつは全然出てきてくれません。
そうやって暴れながら、上を探しながら、
何度も倒れて、何度も頭を打って、
ここから『助けてください。助けてください。』とうめくように言うしかできませんでした。
しかし、こういう時に限って、日曜の夜ってやつは、まぁ誰も助けに来てくれませんわな。
絶望の中、何とか、ガラケーのボタンに手が伸びました。
もはやこれしかないと、必死に119番をプッシュ通報しました。
かかった電話に意外なほど冷静に対応しました。
住所、名前、どういう状況にあるのか、それを話して、あとは、一縷の望みを託して、横になりました。
何分かすると救急車が来てくれました
私は、どうやら、そのまま倒れて、ずっと横になってたみたいです。
何分だったのか、何十分だったのか、実際のところは分かりませんが。
(救急隊員に)自分の言えるだけ全ての言葉(を言い)、あとはゆっくりと救急医療の方に向かいました。
一体どこまで救急車は行ったのか、救急医療はどこに着いたのか、まったく分からないまま、
体を転がされて、ゲロを吐きました。
もうこれ以上ないというぐらいゲロを吐きました。
それでもまだ何とかしてくれるというそれだけで、頭を必死にするのに一生懸命でした。
救急医療は、その場では治療するというより、とりあえず検査をするようでした。
これは後になって分かったことなので、また書きます。
完全に意識が朦朧とした中、とりあえず生きているんだということだけが分かりました。
次の日、目を覚めると、もうお昼近くになっていました。
どうやら命は助かったようです。
看護師さんが、ご飯と簡単なおかずを持ってきてくれました。
まるで孤独のグルメのような病院食でした。
生まれてきて今まで一番おいしいご飯でした。
俺は生き残ったんだ。
ご飯を食べているんだ。
しかし、私の体調や異変が明らかになるのはそこからもう少し後のことでした。
こうして私の長い闘病生活が始まったのです。